早速家に帰って悪戦苦闘の末押し入れの中から引っぱりだした。
出て来たスチールカメラ。。。
久々の再会。
手が震えた。。酒のせいだろうか?(^_^;
電池が無くてシャッターが切れなかった。
電池を買いに行った。
電池を入れ替えて、ズームとコンバーターを手にした。。
そして僕は、震える体を押さえながら川に向かった。
その昔、僕宛に親友がくれた手紙にそれは書いてあったのです。
かっこいいお母さんになるのが夢だった彼女も、
今ではすっかり夢を叶えてニ児の母。
うらやましい。
夢を叶えるなんて、凄い事である。
親友でありライバルだった頃に貰った詩。
「生きる」。
鈍感な私は、もらった当時理解出来なかったのだが、
肩の力が抜けた最近、やっと理解出来てきた気がするのです。
俺の事じゃん!
な〜んてね(^o^)/
試しに検索してみたらいっぱい出てきたので、
書いてみました。
宜しかったら、「生きる」をどうぞ!
そんな所かな。
子供の頃、お婆ちゃんちに遊びに行くと、リポビタンDを出してくれて。。
お土産は、栗の瓶詰め。
僕の大好物なのです(^Q^)
そしていつも、「ヨイヨイになったら手を引いてくれるんだよね!」って。
約束してたんです。
人間模様も色々観ました。
各々の立場にならないと解らない事だと小さいながらも感じていました。
おばあちゃんの最近の口癖は、「早くおさらばしたい。」でした。
それでも、僕が合いに行くとそれはもう曲がってしまった手で握りかえして、
「手を引いてくれるんだよね」って。。。
ベットに釘付けなのに、元気な事をアピールしたり
「暖かくなったら、外行こうね。」
でも、暖かくなった5月逝ってしまった。
御葬式で10年ぶりくらいに親戚に合いました。
太ったね、貫禄着いたね、と全員に言われた。
親戚、こんなに居たんだなぁ。。
孫一同は、メッセージを棺桶に入れる事にした。
従兄弟のけんちゃんの案でした。
僕は、子供の頃の僕が、若いお婆ちゃんの手を引いている絵を描いて
ありがとうの一言を書いて、渡しました。
喪主だった親父の最後の挨拶。
この時産まれて始めて親父は僕の前で涙を見せた。
今思うと30年前、僕の妹が死んだ時も涙を流したのだろう。
僕は、親戚のおじさんの背中におぶさっていた事しか覚えていないのですが...。
親父の涙にちょっともらい泣きしそうになった。
同時に、親父は偉いと思った。
ちゃんとやった、しっかりやった。
もし、僕が喪主になる事があるとしたら..僕に喪主がつとまるのだろうか???
両親に死に目に会えない約束をした仕事。
う〜ん。。ちょっと考えてしまいました。
最後のお別れ。
みんなでお花を棺桶に入れました。
最後に、「お孫さんを代表して花束を。」の声。
こういう時仕切ってくれるたのもしい従姉妹のまいちゃん。
僕が花束を贈呈する事に。
みんなからの花束だよ。
おばあちゃん
火葬中、住職とグラスを交わしながら色々お話しました。
比叡山や色んな本堂に泊まってお話を聴いた事も合ったりで、結構好きなんです。
お説教以外の話も面白いんです。
火葬が終わって、従兄弟のよっくんと骨を拾いました。
最後にのど仏の骨とか、色々斎場の人に説明してもらいました。
斎場の仕事と言うのも面白いと思いました。
おばあちゃんは、妹と同じ墓に入る事になりました。
騒がしくなるね!ふふふ。。
畑でも、墓参り用のお花も育て出しました。
自分の気分次第でしかお墓参りは行かないんだけど、
でも...でも、ちゃんと行こうと思いました。
おばあちゃん。
長い間、御苦労様でした。
そして、どうもありがとう。
自分の生れ育った20世紀。
自分の存在や、立場、夢。。
苦悩する事も多々あったり。。
ある時、月がいつでも見守っていてくれるのだと気が着いた。
お陽様も見守ってくれるけど、月に一回お休み(新月)の有る月が好き。
月夜の夜釣り。
月夜に浮かび上がる冬の富士山。
月夜の想い出は数知れず。。
今でも月の子(む〜んチャイルズ)ぷぷぷ..変な日本語。
まぁ、21世紀も宜しくね!
20世紀最後の満月。